肥田 舜太郎(ひだ しゅんたろう、1917年 - )は、日本の医師、医学博士<Wikipedia>。広島市への原子爆弾投下により自身が被爆しつつ、直後から被爆者救援・治療にあたった。以来被爆者の診察を続け、被爆の実相を語りつつ核兵器廃絶を訴えている。被爆患者の臨床をふまえて、「原爆ぶらぶら病」とよばれる症状や、内部被曝、微量放射線・低線量被曝の健康影響について研究し、その危険性について述べた。のべ64年間、6000人を超える被爆者の診察を続け、2009年、医業から引退。現在、全日本民医連顧問。「九条の会」傘下の「九条の会・さいたま」呼びかけ人。 ◇入市者の最期浮かぶ−−肥田舜太郎さん その姿が浮かぶのです」5年、10年をへて人体に影響を及ぼす放射線の脅威は捉えにくい。参院選でも原発は争点にならずに終わった。「人間は核を制御できないという事実が、いつになったら分かるのか」。憤りを胸に、今年も広島で原爆の日を迎える予定。 (ひと)肥田舜太郎さん 日韓で「非核・脱原発」を訴える96歳の被爆医師(2013/04/13朝日新聞) 車いすで駆けつけ、市民集会や国会で信念を語った。1945年8月6日は広島陸軍病院の軍医だった。直後から被爆者の治療を続けた。数日後、遠くから家族を捜しに来た人の中にも高熱や出血に苦しみ、紫斑が出て急死する人が現れた。歳月が流れても、外見は異常がないのに体のだるさを訴え続ける人がいた。 日本原水爆被害者団体協議会の中央相談所で長年理事長を務め、6千人超の被爆者に接し、体内に入った放射性物質が引き起こす「内部被曝(ひばく)」によるものだと確信した。「どの国の医師も放射性物質でどんな症状が出て、どう治療すればいいか全ては分からない。ならば根っこをなくすしかない」被爆から68年。あの時に治療に奔走し、惨状を知る医師仲間はいない。「生き残っている医師として声をあげていきたい」。今夏で90歳になる妻のそばにずっといられないのが気がかりだが。 (声)肥田医師の活動に勇気もらう(201304/13朝日新聞) 東日本大震災による津波で多くの人が命を失い、福島第一原発事故はまだ収束に至っていません。16万人の人が避難し、子どもは外で遊べない地域もあるといいます。最近では福島第一原発の相次ぐ放射能汚染水漏れが問題になっています。「復興」から遠くなりつつある福島の現状に私は被爆者として焦燥を感じています。 広島で被爆した肥田先生も、きっと黙っておられなくなったのではないかと思います。日本には広島、長崎の被爆者が20万人以上もいます。被爆者は原発をめぐって起こる様々な出来事に対して私と同じように神経をとがらしているに違いないと思います。あの地獄の業火の中をくぐり抜け、被爆後も放射能に脅かされてきた私たち被爆者は核の怖さ、とりわけ放射能の怖さを身をもって体験しています。 肥田先生の活動を知り、原発、憲法改定など戦争につながるものは一切拒否しなければと強く思いました。 内部被曝、映画で証言 水戸で上映会 茨城(2012/11/28朝日新聞) 上映会を企画した実行委員長の加藤由紀子さんは「子を持つ親として、放射線から子を守るにはどんなことに気をつけたらいいかを学び、考えたい」と話す。会場は水戸市千波町の県立県民文化センター大ホール。午前10時半から上映。チケットは一般が前売り1300円、当日1500円。 前売り券は県民文化センターと水戸京成百貨店で販売。ホームページ(http://gp12.jimdo.com/)や電話(加藤さん080・8830・8870、小峯さん090・4052・8070、茨城農民連029・292・8732)、ファクス(029・252・9818)でも申し込める。 |