反原発の遺志、今こそ声に 運動草分け故・水戸教授の妻(2012年6月20日朝日新聞)
放射線専門家として、日本の反原発市民運動を引っ張った大学教授が25年前、雪の北アルプスで53歳で遭難死した。残された妻は、東日本大震災を機に長年の沈黙を破った。夫の遺志を継ぎ「反原発」を叫び、「科学者よ、声を上げよ」と訴える。17日、福井市。大飯原発再稼働抗議デモの列に水戸喜世子さん(76)はいた。「再稼働反対」のはちまきを巻き、自宅のある大阪府高槻市から駆けつけた。夫は、芝浦工業大教授だった水戸巌さん。1970年代初めから、反原発運動の草分けを担った放射線物理学者だ。
■圧力にも毅然
お茶の水女子大で物理を専攻する学生だった頃、物理学の勉強会で東大生の巌さんと出会い、60年に結婚した。「私のひとめぼれよ」と振り返る。全国の原発を訪ね、付近で落ち葉を採取して放射線データを集めた夫。正体不明の嫌がらせは日常茶飯事だった。切断された指が送られたり、「命があると思うな」と電話がかかったり。それでも毅然(きぜん)としていた。
3人の子の安全のため、喜世子さんは関西に移り住んだ。東大の卒業証書より冬山登山講習の修了証を大事にするほど夫は山を愛した。父の背中を追いかけて物理の世界に進んだ京都大院生の共生(ともお)さん、大阪大生の徹(てつ)さん(いずれも24)の双子兄弟とともに、幾つもの頂を目指した。
86年末、「これが最後」と北アルプス・剣岳を目指し、消息を絶つ。警察が打ち切った捜索を仲間が続け、翌夏3人の遺体は順次見つかった。巌さんは、日本原子力発電東海第二発電所(茨城県)の原子炉設置許可処分取り消しを求め、73年に住民が提訴した訴訟では住民側証人として「事故が起きたら被害は東京に及ぶ」と訴えた。チェルノブイリ原発事故(86年)後の集会では「原発事故は長期間身体に悪影響を残す」と声を荒らげた。
訴えをよそに、日本は原発大国への道を突き進む。そして、東日本大震災。巌さんの郷里、福島県新地町も被災した。「水戸さんが生きていたら、嘆かれたろう」。「子どもたちを放射能から守る全国小児科医ネットワーク」の山田真医師は講演でそう悔やんだ。小出裕章・京都大原子炉実験所助教も、「原子力の正体を教えてくれた人」と評す。
■26年経ち投稿
チェルノブイリ直後、山で命を落とす半年前の86年6月10日付朝日新聞「声」欄は巌さんの意見を掲載している。「こんな危険を目のあたりに見ながら、『引き返せない』ほど、人類はおろかなのであろうか」26年たった今年5月1日付の同欄には喜世子さんの名があった。
「政治家は科学者の声に耳を傾けよ。科学者には、その職責がどれほど重い社会的責任を伴うかを自覚してほしい」昨年3月11日を境に閉じていた心のふたが外れた。「おまけの人生、彼らが生きていたらするであろうことをする」。敦賀原発直下に活断層がある可能性を報じた記事を読み、投稿を決意。遺影に語りかけ、涙があふれた。
「あなた、黙ってないで早く出てきてよ」 17日のデモには全国から2200人が参加した。個人参加の若者の姿が多かったのがうれしかった。「まだ希望はあるかしら」。そう報告すると、写真の夫は「そうだな」と笑っているようにみえた。(宮崎園子)
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