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ヒューマニスト33
<その人の指向性、価値観、生き方、考え方>


<若松丈太郎>

 

〈ニッポン人脈記〉民主主義 ここから:1(2012年11月20日11時朝日新聞)
人々の暮らしが消えた
チェルノブイリ原発事故から8年後のことだ。1994年5月、福島県南相馬市に住む詩人の若松丈太郎(わかまつじょうたろう)(77)は、ウクライナの現地を訪れた。東京電力福島第一原発が稼働した71年から、詩や評論で原発の危険性を警告してきた。知り合いから誘われ、若松は福島県民でつくった調査団に参加した。

放射性廃棄物を埋めた穴に土をかぶせた空き地から、事故現場の4号炉を覆う巨大なコンクリートの「石棺」を仰ぎ見る。世界を震撼(しんかん)させてからずいぶん時が経ったというのに、周りにはどこか不穏な雰囲気が漂っている。その距離、約120メートル。若松らが持参した放射線量測定器は、2台とも「測定不能」になった。それほどまでに周囲は高濃度の放射能で汚染されていたのだ。

「まるで熱いフライパンの上に立っているようだ。一刻も早くこの場から立ち去りたい」。放射能の怖さを初めて体感した瞬間だった。帰国後、「神隠しされた街」という詩を書いた。強制疎開させられたプリピャチ市の惨状をうたったものだ。

《多くの人は三日たてば帰れると思って/ちいさな手提げ袋をもって/なかには仔(こ)猫(ねこ)だけをだいた老婆も/入院加療中の病人も(略)/四万五千の人びとが二時間のあいだに消えた/鬼ごっこする子どもたちの歓声が(略)/ボルシチを煮るにおいが/人びとの暮らしが(略)/消えた》
詩はその後、福島に引きつけながらこう続く。
《私たちが消えるべき先はどこか(略)/私たちの神隠しはきょうかもしれない》

それから17年後の2011年3月11日、東日本大震災が起き、翌12日に福島第一原発が水素爆発を起こした。多くの住民は住み慣れた家や土地、故郷を追われた。「危惧してきたことが現実になった。これは人災、企業災だ」と若松はいう。南相馬市は事故後、立ち入りを禁止する「警戒区域」や「緊急時避難準備区域」などに分断され、支援トラックも近づかずに一時は「陸の孤島」と化した。

「政府は放射能の拡散を予測する『SPEEDI』の情報を知らせず、被曝(ひばく)させた。『怨 水俣死民』とむしろ旗に書いた水俣の人々の思いをわがこととして受け止める」国と東京電力の刑事責任を市民が追及する「原発を問う民衆法廷」が5月、福島県郡山市で開かれた。

出廷した若松は、南相馬市の子どもたちが「いま知りたいこと」として書いたことばの一部を読み上げた。放射線を気にしないで外で遊べるのはいつですか。30キロ以内に子どもがいていいの? 甲状腺がんは私たちを死に追いやる病気なの?将来、子どもが産めますか――。

「10歳前後の子どもがこんな思いを抱えて生きている。むごいとしかいいようがない」。若松は訴えた。「物心がついた時、私は戦争の時代のただなかにいた。その戦争責任を徹底して追及しなかった結果として現在がある。将来に禍根を残さないためにも、核災の原因者たちを糾弾しなければならない」「核災」とは聞き慣れないことばだが、そこには詩人の直感で今日の事態を予見した若松のこだわりがある。「事故というと、交通事故のように関係者の範囲が限定される。

だが3・11は広範囲に影響が及ぶ核による災害、『核災』ではないか。日本という国は形の上では民主主義を採り入れながら、実際には主権者の国民を棄民する。私たちは『核災棄民』だ」3・11は、この国が抱えるいろいろな問題を浮かび上がらせた。来月4日には総選挙が公示される。

選挙戦の行方はまだ見通せない。だが「選挙の争点」のいかんにかかわらず、この国で民主主義を機能させ、確かなものにしていく上で大事な課題がある。それらを考えていきたい。(このシリーズは松本一弥が担当します。文中敬称略)

http://digital.asahi.com/articles/TKY201211190516.html

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『人びとの暮らしがひとつの都市からそっくり消えたのだ』とは17年前に、今日の福島第一原発の事故を生々しく予言した詩である。福島県南相馬市在住の詩人若松丈太郎さん(75)が19994年に発表した『神隠しされた街』と題する詩である。5月8日付の東京新聞(文化部・石井敬氏)が次のように紹介している。

若松さんは50年前から福島県南相馬市(旧原町市)に住んでいる。高校の国語教師だった。自宅は地震の被害は少なかったが、原発事故で先月下旬まで1ヶ月以上、福島市に避難していたという。

1971年に福島第一原発が完成する前から、若松さんは地元紙や詩人会の会報などで、原発の危険性について訴える文章を発表していた。「広島、長崎の原爆のことが頭にあったから、これは怪しいのではないか、事故が起きたら大きな被害をもたらすという思いがあったからだ」という。

94年には、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故を見学する福島県民調査団に参加して、ウクライナを訪問した。事故を起こした原子炉を見学して、コンクリートで覆った「石棺」の側まで行った時、放射線量計の針が振り切れたので、「自分の住む街と重ね合わせてショックを受けた」という。そして帰国後に発表したのが『神隠しされた街』である。

若松さんは、「若い人は、この街に戻って来ません。一番強いのは東京電力と国がしたことへの怒りです。自分の言ってきた通りになったといって、得意な気持にはなれません」と複雑な心境を語るが、「原発のことを書くたびに、もう終わりにしたい思ってきたが、とことん付き合わなきゃいけないと思っています」という。以下、『神隠しされた街』の詩を東京新聞の記事から紹介したが、余りにも予言的な内容に驚いた中原中也賞詩人のアーサー・ビナードさんの英語訳が出版されるという。なお、参考までに申し上げると、『神隠しされた街』の詩は、全文で89行にわたる長いものである。私見であるが、新聞は紙面の関係で19行に省略してあるが、詩の真髄を損なっていないと思う。

    
       四万五千人の人びとが二時間の間に消えた
       サッカーゲームが終わって競技場から立ち去った
       のではない
       人びとの暮らしがひとつの都市からそっくり消えたのだ
       (中略)
       半径三〇kmゾーンといえば
       東京電力福島原子力発電所を中心に据えると
       双葉町、大熊町、富岡町
       (中略)
       そして私の住む原町市がふくまれる
       こちらもあわせて約十五万人
       私たちはどこに姿を消せばいいのか
       (中略)
       街路樹の葉が風に身をゆだねている
       それなのに
       人声のしない都市
       人の歩いていない都市
       (中略)
       私たちの神隠しはきょうかもしれない
       うしろで子どもの声がした気がする
       ふりむいてもだれもいない
       なにかが背筋をぞっくと襲う
       広場にひとり立ちつくす

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原発事故の責任を問う詩人 20日の民衆法廷で申立人に
2012年5月20日朝日新聞
東京電力福島第一原発から約25キロの福島県南相馬市原町区。詩人の若松丈太郎さん(76)はこの地で暮らし、40年以上にわたって原発の危険性を言葉で表現してきた。今回の事故を予言したかのような作品もある。20日に同県郡山市で開かれる、事故の責任を追及しようという「原発を問う民衆法廷」に申立人として立つ。

岩手県の生まれ。福島大を卒業後、福島県内の高校で国語を教えながら詩を書き続けた。61年、詩集「夜の森」で福島県文学賞を受賞した。原子力船「むつ」の放射線漏れ事故が起きた1970年代から、原発の危険性について警鐘を鳴らしてきた。94年にはチェルノブイリ原発を訪れ、詩にまとめた。「神隠しされた街」。ウクライナ・プリピャチ市が舞台だ。事故で危険地帯とされ、約15万人が避難した半径30キロの円を、福島に重ね合わせた。


東京電力福島原子力発電所を中心に据えると
双葉町 大熊町 富岡町
楢葉町 浪江町 広野町
川内村 都路村 葛尾村
小高町 いわき市北部
そして私の住む原町市がふくまれる
こちらもあわせて約十五万人
   〈中略〉
私たちの神隠しはきょうかもしれない
うしろで子どもの声がした気がする
ふりむいてもだれもいない
なにかが背筋をぞくっと襲う
広場にひとり立ちつくす
福島第一原発事故では20キロ圏に警戒区域が設定され、今も約15万人が避難を続ける。「予言なんかじゃない。原発から300キロ離れていたら感じないかもしれないが、25キロのところに住んでいれば誰だって不気味に感じますよ」
 若松さんにとって、言葉は抵抗の手段である半面、権力者が住民を「たぶらかす」ための道具にもなる。例えば――。

「『警戒区域』って変な名称ですよね。泥棒を警戒するというような、管理する側の発想なんです」今必要なのは、事故の責任を問うことだと思う。「戦争責任を徹底的に追及しなかったことが日本の政治をゆがめてきた」との自らの歴史観に通ずるからだ。「今回、誰一人起訴されていない。

本当に責任をとるべき人が責任をとっていない。それで再稼働の話なんて、あり得ない」(笠井哲也) 「原発民衆法廷」は市民が企画。「被告」は東電の当時の首脳らで、申立人に代わる「検事団」が業務上過失致死傷などの罪で追及し、大学教授の「判事団」が判決を下す。
http://digital.asahi.com/articles/TKY201205190441.html

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ネット会議:原発・原爆、学び伝え 福島・南相馬と長崎の高校生交流
毎日新聞 2012年11月05日 東京朝刊

東京電力福島第1原発事故に見舞われた福島県南相馬市の県立原町高と、原爆を投下された長崎市の私立活水(かっすい)高の生徒が4日、インターネット会議システムを使って、原発事故や原爆の被害をどう伝えていくかについて意見交換した。原町高生は被災地からの情報発信を報告、活水高生は核兵器廃絶活動や平和学習について紹介した。【高橋秀郎】国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館(長崎市)が開催している長崎国際平和映画フォーラム2012の特別企画として行われた。

原町高生はチェルノブイリ原発事故と福島をテーマにした地元在住の詩人、若松丈太郎さんの18年前の詩「神隠しされた街」を朗読。原発から10キロの浪江町から避難している沼能(ぬまのう)奈津子さん(3年)は「避難生活がどうなるのか見通しが立ちません」と報告した。高山風優香(ふゆか)さん(3年)は「どれくらい被ばくしているのか。将来の赤ちゃんがどうなるのか。全てが不安ですが、前に進むしかない」と語った。

活水高生は、広島と長崎で被爆した故山口彊(つとむ)さんの手記「二重被爆−原子雲の下に生命を伏せて」と同校の「平和宣言」を朗読。司会の宮本佳奈さん(2年)は「手を取り合ってこれからの世代に伝えていきましょう」と結んだ。長崎市の被爆者で福島の高校生と交流している広瀬方人(まさひと)さんは「放射能被害を起こさない運動をしてきたのに、再び不安にさらされる人を出してしまった。おわびしたい気持ちだ」と語った。南相馬の会場を訪れた若松さんは「福島の問題は進行中です。長崎から学ぶことはたくさんあります。若いみなさんの支援をいただきたい」と語った。
http://mainichi.jp/feature/
news/20121105ddm041040063000c.html

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